「理解できない言葉の不透明性をうけいれ、それに耐えつつ、それを尊重し、その来歴を想像し、新たな「列島」を構成しうる可能性を探ろう」とすること、これは「アングロフォン」の資本主義が世界を覆いつつある状況と同時に、日本の列島を一つの「日本語」ないし「国語」という虚像が包もうとしている状況に対抗するかたちで、今まさに試みられなければならないことだろう。