「気持ち良かったですねえ。ほぼ、いきかけました」
そして優れたアントレプレナーに共通する特徴は、人生のある時期に、たいへんな集中力と気迫で新しい知識を確実に習得しているということです。貪欲なまでに強烈な意志を持って、自ら道を切り開いていく。好奇心旺盛なアントレプレナーたちは、不確実な未来にいかようにも対応できるよう、徹底して「学び続ける意志」を持っているのです
デザインとは「わかる」とか「わからない」というレベルで語るべきものなのでしょうか。わかりやすくデザインを語る・語りたいという人がいたら、ちょっと気をつけた方がいいと思っています。(僕もそんな仕事してきたわけですが、だからこそ……)
みんながわかること、それは善いこと。易しいことは優しいこと。「わかりやすさ」願望の背後には、常に教育的な倫理観が見え隠れしています。「わかる=いいこと」「わからない=よくないこと」であり、「わかる子=よい子」「わからない子=悪い子」です。「わかる」という言葉は、私たちはよい子でありたいという強迫観念を刺激します。
Gショックの発表記者会見の時、担当者は記者を前にしておもむろに立ち上がり、
会場の後ろから黒板めがけて新製品の時計を叩きつけたそうです。
ざわめく記者を横目に黒板の下に転がる時計を拾った担当者、そして一言
「これが当社の新製品、Gショックです」
〈社会〉を生きるとは「欠落を埋め合わせるために前に進む」こと。我々を苛立たせる不完全さや欠落感に満ちています。〈世界〉を生きられるなら〈社会〉に戻らず〈世界〉に居続けるほうが至福です。至福体験のなだらかな延長線上に死があるなら、死こそニルヴァーナかもしれない。殺人を含めて死を忌避する理由はないはずです。
30歳までは下積み
言語学者の金田一春彦氏によると、目上の人に塩をとって欲しい場合の、最も丁寧な言い方は、「すみません、それはお塩でしょうか?」だそうである
もし今のゲーム機の10倍のパワーを持ったゲーム機が登場したとして、それを自分は認知できても、家族は使いこなせますか?違いの分かる人だけを相手にするのは危険だ。
最近のデザインには、
環境と使いやすさとビジネス
という逃げ場所ができてしまっている。
デザイナーが大人になりすぎて、
いい人になりすぎているんじゃないか。
ちょっと前には、使いにくくても、読みにくくても
ワクワクするようなデザインって
もっと多かった気がする。
ワガママで主張のあるデザインがあった気がする。
どんなに優秀なエンジニアでも、決してプログラムを自分自身で書かずに良い詳細仕様を作ることは出来ない