VIPみたいに糞垂れ流せるような雰囲気じゃねえ
糞を垂らすにしてもそれで抽象画を描きやがる
いまだに「SIer」という字をみると頭の中で勝俣が「シャーッ!」って叫ぶ
今回のコード提供は)自分本位な理由によって推し進められているとは思うが、しかしすべてのオープンソースコードも自分本位な理由で書かれている。われわれは皆、自分で「痒いところに手が届く」コードを書いているんじゃないだろうか。自分がLinuxを始めたのも、gitを始めたのも、今でもまだ関わっているのも、すべて自分本位の理由があってのこと。誰もが多くかれ少なかれ自分本位の理由があってオープンソースにたどり着くんだから、マイクロソフトが自分本位の分野を選んだことに文句を言うのはばかばかしいことだ。
自分の原点ともいえる三人の作家のもとに、ゆっくり時間をかけて、ブーメランのように戻ってきたの
懐かしいという感情は、過去体験したものに再偶したときに起こる感情ではなく、自分自身を肯定できるものに出会った時に込みあがる感情と思う。
私にとって、すべての映画は一種のダンスである。なぜなら、映画の中で最も重要なことは運動、動きなのだから。何を動かすかは関係がない(俳優であれ、オブジェであれ、絵であれ)どんな方法で動くにせよ、それは一つのダンスなの
このFlashどうやって作ってるんだろう??って思うほどすごいものもちらほらあります。
今回は、そんなイライラも解消できるように、ソースもダウンロードできるハイクオリティなFlashエフェクトをいろいろとまとめてみました。
知ることがむつかしいのではない.いかにその知っていることに身を処するかがむつかしいの
それでは紙とはいかなる技術なのか。
それ自身がプレイヤーであり、常にプレイしているメディアである。
紙という技術の神髄は、そこにある。
サブカルチャー強いよね、日本は。それも全然否定してないよ、日本のサブカルチャー。日本発グローバルでさ。
阿呆はいつも彼以外のものを阿呆であると信じている。
タモリ: 俺、熱い人ダメなんだよ、熱く語る人いるじゃん。「やんなきゃ!」「やっていかなきゃ人間はダメなんです!」って。そういう人いると凄い俺テンション下がるの。俺、ある時スローガンがあったの、座右の銘。「やる気のある奴は、去れ」っていう。普通でいいんだよ、普通で。
日本語ロックの問題に「“Baby”問題」というものがある。一体どのツラ下げて日本人が「Baby」などと唄えばいいのだ。
清志郎は「ベイビー」じゃなく「ベイベー」と唄った。
(略)
「Baby」とは資格性を問われる言葉なはずであった。ところが、清志郎は易々とこれを「ベイベー」でクリアしたのである。
IWCの時計がどれぐらいもつのか、
私たちにはわかりません。
まだ、140年しか経ってませんから。
HIP HOPは、90年くらいまでは自由でしたが、その後はだんだんと「自由」なものになりました。額縁におさまらないものだったのですが、いつのまにか「額縁におさまらないもの」になっていました。今ここって感じだったのが、「今ここ」になっていました。差異が「差異」になっていました。解放感が「解放感」に、リアルが「リアル」に、何でもアリが「何でもアリ」に、HIPHOPが「HIPHOP」になったのです。そして勿論それらは、その内どちらか一方だけが「正しい」とか「間違ってる」とか、そういったことでもない訳なのですが。
「寛容」はラテン語で「クレメンティア」と言います。これは古代ローマ帝国の天才ユリウス・カエサルのモットーであり、施政方針でした。塩野七生さんは「寛容になれる裏側には、自らの優位性を疑いもしないという強い自尊心が隠されている。復讐は、恨みという感情から生まれるが、恨みを抱くのは相手を対等に見ているからで、自分より劣った相手に対しては恨みなどという感情は生まれない。故にカエサルは寛容になれるのだ」と言っています。
そもそも,企業でもお役所でも政府でも,あらゆる組織がダメになるのは「本当のことを言う」という1点が守られていないからで,実はそれこそが組織にとってもっとも重要なことなのだという。
今回は過去最多の2987の応募があった。高校生の部ではゴリラの孤独を表現した県立成東高校2年菱木俊輔君(17)の作品が市長賞に輝いた。
「ぼくゴリラ ウホホイウッホ ウホホホホ ウッホホウッホ ウホホホホーイ」
昨年春、千葉市内の動物園でゴリラを見て、「ゴリラも人と同じように孤独なのではないかと感じた」そうで、その孤独感を表現したかったという。ゴリラのイメージを文字で表すなら「ウ」と「ホ」だったので、そのふたつでまとめるようにした。書き始めて30分ほどで完成したという。