カルボナ-ラは大盛りにすべきではない。
(これは20代の頃からうすうす分かっていた)
ffffoundやtumblrなどの情報集約ツールの普及によるイメージの超高速相対化現象を目の当たりにしつつも尚、一枚のグラフィック、一枚の写真を自ら創造しようとするには、むしろ盲目にならなければならない。
オムライス型のメニューを見て「この子はしあわせのかたちを知っている」と言った深澤さん。
わたしのキラキラにきづけますように。
口コミは信頼している人から聞くからこそ起こる
いわゆる「創作」から創意が抜け落ちると、只の「制作」となる。「創作」と「制作」は紙一重で、どんなにお膳立てが良くても、作る人間の構えひとつで「創作」は「制作」化してしまう。逆にどんなにしょうもない仕事に囲まれていても、その中に取り組む価値のある「創作」を見出すことは出来る。
乗りかえないと、遠いところまで行けない。
一方で情報の氾濫によって飢餓感を失い、さらに Attention Saturation によって外に向ける関心レベルが低下し、非活動的になって行く人々がいる。彼らも、一見情報に飛びついているようには見えるが、実際には単に刺激を求めているだけで、手に入れた情報を元に自分の考えを確立してその先を考えるといったことは得意でない。
青年に勧めたい事は、ただの三語に尽きる。
すなわち、働け、もっと働け、あくまで働け。
バターを塗ったパンが落ちたときに、バターの面が下になる確率は、カーペッ トの値段に比例する
人ごみの中でおならをした人が、「誰か屁をしたな!」って、でかい声を出す。それをやられちゃうと、「ぼくはしてないですよ」、あるいは「お前じゃないか?」という発言しか、周りは言えなくなっちゃう。
沢山の具体案を考えることは、無駄なようでけっして無駄ではない。採用されなかった案が、その人の将来の持ち駒になるからだ。
プログラムとは運と勘によって作成される奇蹟である。
その両者がなければ、その工数でその仕様が実現できるわけがない。
仕様変更とは奇蹟にいちゃもんをつける罰当たりな行為である。
仕様追加は奇跡が二度起こると信じる無謀な行為である。