彫像は既に石の中にあった。
自分はただそれを掘り出したにすぎない。
「水木さんは、天才でお金もあるから
怠けられるんです」と。「才能のない人は
働かないと餓死するだけですよ」と言って、
わはははっとお笑いになる。
「いろいろ考えてはいるんですけどね」と言い訳する人には、その「いろいろ考えたものを見せてくれ」と頼む。ところが、たいていは、せいぜいあっても1つしか案がない。1つの案しかないのに「いろいろ」なんて言うなよ、と思う。1つでは選べない。これでは何を考えていたのか、問いたくなる。
「考える」という言葉を非常に安易に使っている人が多いと思う。学生に「考えてきたか?」と尋ねると、「考えましたが、ちょっと良い案を思いつかなくて」と言う。「じゃあ、悪い案を幾つか見せなさい」と言うと、きょとんとした顔で、「いえ、悪い案も思いついていません」と言う。「考えましたが、まだ、ちょっとまとまらなくて」と言うから、「では、まとまらないものを見せて下さい」と言っても、たいてい見せてもらえない。
こういうのは、僕の場合「考えた」とはいわないのである。
沢山の具体案を考えることは、無駄なようでけっして無駄ではない。採用されなかった案が、その人の将来の持ち駒になるからだ。
バターを塗ったパンが落ちたときに、バターの面が下になる確率は、カーペッ トの値段に比例する
青年に勧めたい事は、ただの三語に尽きる。
すなわち、働け、もっと働け、あくまで働け。
上善如水(じょうぜんじょすい)
最も優れた「善」は水のごときものである。
その理由は
第一に水は方円の器に随い、天地間に水なくして存在するものはない。
第二に水は低い方へ低い方へと流れること。
第三に低いところに水が溜るから自分も大きくなる。このように上善は最大の善のほか、古代の善とも称される。
百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり